やひろの心と体の健康ブログ

元理学療法士(リハビリの先生)のやひろが「心」「体」「社会」的な健康について発信するブログ!

あなたは健康ですか?不健康ですか?そもそも健康ってなんですか?

 この記事のテーマは「健康は人それぞれ。だから、他人の健康を笑うな。」です。

 

 あなたの健康と他人の健康は一致しません。

 

 香川県のゲームのプレイ時間についての条例が話題になりました。

 ゲームによって日常生活に支障をきたすのを防ぐため……という理由で発表されました。

 もちろん、ゲームのやり過ぎで体を壊す、学校の成績が下がることは良いことではありません。

しかし、その人にとっての日常生活・社会がゲーム内にあった場合はどうでしょう?

 ゲームを制限されることでコミュニティから除外されてしまうのであれば、それは社会的に不健康ではないでしょうか。

(わかりやすく極端な例を記しています。筆者は条例に肯定も否定もしません。)

 

 WHOで1998年にこのような健康の定義が提案されました。

 「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。」

 このように人間にとっての健康とは肉体面だけではなく、もっと包括的な概念なのです。

 

 では、何が「異常」なら不健康なのかという話しになります。

 そもそも「正常」と「異常」の線引きは何処でされているのでしょうか。

 

 生物統計学者のE・マーフィは「正常」という言葉の意味を七つ挙げました。

 ①正規分布の形をとる。

 ②その集団で最も代表的である、平均である。

 ③その集団で普通にみられる属性である、通常的である。

 ④生存に最も適している。

 ⑤とくに問題がない、無害である

 ⑥一般的に望まれているもの、慣例的・伝統的なものである。

 ⑦その集団の中で最も完全である、理想的である。

 

 医科学的側面での健康は「正常値・異常値」という属性によって判断しています。(③や⑤)

 この正常値という属性は「正常と考えられる集団の95%の人々が含まれる検査値の範囲」と定義されています。

 粗暴な言い方をすれば、どこかの偉い人達が統計を出して勝手に決めたのが「正常値」なのです。

そこに統計以上の意味はなく、価値観的側面は含まれていません。

(メタボや高血圧症の基準も時代によって偉い人達が変えています)

 

 「異常値」であっても「健康」だと思った例を紹介します。

 元中日ドラゴンズの投手 山本昌さんは利き手(左手)が真っ直ぐに伸びず、かつ60度以上曲がらないそうです。

 なので、ひげ剃りは右手だけでしているとか。

 山本昌さんは取材で「肘が伸びないことで、独特なフォームが生まれました。そのおかげか勝利を重ねることができました。」と語っています。

 肘がこれだけ動かないのはもちろん「異常値」ですし、「障害」です。でも山本昌さんは野球界で偉大な記録を達成されました。

(左手で飲み物が飲めないなど、支障が0ではないかもしれませんが……)

 

 このように「異常値」=「不健康」ではないのです。

 そして、本当の「健康」は数値で図れません。

 

 世の中のマイノリティな人達が平均値でないことに悩んでおられるニュースや発信を多く目にします。

 当人ではない筆者の言葉は薄ら寒いかもしれませんが、「異常値」であることは数字以上の意味はないのです。

 その「異常値」に対してどう価値判断するかが問題なのです。

 「異常値」であることが「不健康」や「不幸」ではないことを皆が気付くことを心より願っています。

 

 

まとめ

健康とは価値観のことであり、医科学的側面と価値観的側面の両立によって維持されます。健康は個々人の社会的属性・人的属性によって異なり、変化します。

 

 

追伸

筆者の身長は155cm(健康体です)で、男性の平均身長は170cm程です。

おそらく筆者は成人男性身長界ではマイノリティ……

あまり困ったことはないんですけどね笑